キャリア甲子園2020総合優勝、「ぐーふぉ」インタビュー!

過去最大人数の戦いとなったキャリア甲子園2020を制したのは東京電力代表、渋谷教育学園渋谷の「ぐーふぉ」だった。
新型コロナウィルスの影響で世界中が混乱に陥るなか、2020年大会テーマでもある「ブレイクスルー」を体現するプレゼンを披露し、競合ひしめく決勝大会で見事優勝を果たした。

もともと模擬国連で活動していた3人はどのようにキャリア甲子園を戦ったのか?チーム結成からアイデア着想、そして決勝直前でのチーム崩壊の危機・・・。

総合優勝の栄冠に輝くまでのぐーふぉの道筋をたどる!

(取材・執筆:キャリア甲子園運営事務局 羽田 啓一郎)
*この記事は2021年4月に取材されました。

1人で出ようと思っていたキャリア甲子園

学校の校舎には堂々と垂れ幕が!

羽田:改めまして優勝おめでとうございます。

3人:ありがとうございます!

羽田:学校の校舎にも大きく垂れ幕かかっててすごいですね!もともとキャリア甲子園に出ようと思ったのはリーダーの妻鹿くん?

妻鹿:そうですね、僕が2人を誘って参加した形です。もともと僕らは模擬国連で一緒に活動してる仲間だったんです。でも結果的にそうなった、というだけで最初から2人を誘ってたわけじゃなくて。僕、もともと1人で出ようと思ってたし。

羽田:1人じゃキャリア甲子園は出れません(笑)。どういう経緯があったのか教えてください。

妻鹿:キャリア甲子園を知ったきっかけは友達に誘われたことなんです。僕は模擬国連の世界大会でアメリカを目指していたんですが、コロナでその機会がなくなってしまって。キャリア甲子園は海外旅行券があるから一緒に出ようぜ、と誘われて。でも僕、1人で実力を試したいなと思ったので友達の誘いを断って1人で出ようとしたんですよね。で、その後チームじゃないとダメだと知ったんですが、一度友達の誘い断ってるから「やっぱり入れて」とは言い出せず・・・。

羽田:なるほど(笑)。それでお二人を誘った、と。

妻鹿:チームとして戦うわけですし、仲のいい友達じゃなくて自分にないものを持っている人と一緒にやろうと思って、まず中島を誘いました。彼女は模擬国連の活動をみていても滅茶苦茶コミットしてくれると思ったので。

羽田:中島さんは誘われて迷わなかったんですか?

中島:私はもともとこうしたコンテストに出てアイデアを考えたりビジネスプランを考えることが好きなので、キャリア甲子園に誘われて「面白そう!」と思いました。優勝したら100万円分の海外旅行券じゃないですか。100万円ってすごいなと思って。妻鹿くんも最初から優勝目指してたし、やってやろう、と。

羽田:大森さんはその後に加入したんですかね?大森さんは妻鹿くんと中島さんの後輩になるんですよね?

大森:そうですね、私は当時1年生だったので。ある夜に先輩から電話かかってきて熱く誘われたんですが、一回断ったんですよ。「そうですか、頑張ってください」と。

羽田:え、なんで?

大森:UWCに行った久野さんの記事を読んだことがあって、そこで「キャリア甲子園めっちゃ辛い」って書かれてて「そんな辛いのは嫌だ・・・」と思ったんですよね。でもその後、残念ながら模擬国連の校内選考で負けてしまって手が空いて。そのタイミングで先輩からまた誘われたのでやってみようかな、と。

羽田:こうしてぐーふぉが結成されたわけですね。どうして東京電力のテーマになったんでしょう?

中島:それは大森さんがこのテーマに興味があったからですね。応募数によって書類審査の時の倍率が変わってくるという話をキャリア甲子園の夏のイベントに参加して聞いていたんですが、どこに応募してもそれなりに競争があるし私たちは優勝を目指していたので、最終的には勝たないといけない。だったら最初の倍率を考えるよりも自分たちがやりたいものをやろうよってなって。それで大森さんが関心のある東京電力のテーマにしよう、と。

大森:そうですね、私はもともと防災やまちづくりに興味があったんです。自然災害が起きやすい地域ってあると思うんですけど、災害が起きやすい特定の街が破壊されていくのって辛いなと思ってて。どうすれば災害に強い街って作れるんだろう、と関心があったんです。

自ら行動して調査するのがぐーふぉ流

決勝大会前には東京電力の方が激励で学校を訪問!

羽田:ありがとうございます。チーム結成についてはよくわかりました。ではどのようにキャリア甲子園を戦ってきたかを教えてください。東京電力のテーマである「災害に強いまちづくり」の中で、ぐーふぉは「非常食」に注目したのは非常にユニークだと感じたんですが、あのアイデアにはどのように行き着いたのでしょうか?

妻鹿:漠然と「まち」を考えるのではなくて、僕たちはまず「どこの町か」を具体的に想定するところから始めました。それで僕らの高校は渋谷にあるので、渋谷をモデルとして設定して、渋谷について調べまくったんです。

中島:災害についても調べましたね。地震ってなぜ起きるのか、どんなメカニズムで起きるのか、などそもそものところも調べました。改めて調べてみると、知らないことがたくさんあって。

大森:区民センターに行って職員の方にインタビュー取材したり色々しましたね。調査して新しい情報や知識を得ながらアイデアを考えていったんです。

中島:でも調査しながら、どこかピンときてない自分がいました。「災害に強いまちづくり」についてアイデアを思いついても、それがいいのかどうかわからない。それは多分、私たちが災害について当事者意識を持てていないからだなと。

妻鹿:そして何かアイデアを思いついても調べていくと「実は既に色々やってる」ことに気づいたんです。僕らが知らないだけで、災害対策はたくさんあって既に準備されている。それで考え方の方向転換をしました。それまでは町の機能などハード面についてアイデアを考えていたけど、町が強くても人が弱かったら意味がないじゃん、と。僕らの災害に対する希薄な危機意識を前提に、人にフォーカスしたアイデアにしようと。

大森:まちづくり、と固く捉えていたけどそうじゃない個人の観点でいきましょう、となったんです。ここで初めて、自分たちのアイデアに自分たち自身が納得感が持てた。そうか、災害に必要なのは公助じゃなくて自助共助なんだなって。確かに東京電力テーマではまちづくりのためのアイデアの方がわかりやすいし私たちのアイデアは少し違う視点だったけど、自信があったからリスクだとは思いませんでしたね。

中島:そう、自分たちが必要だと強く信じたものにしたんです。避難所はたくさんあるけど「一時集合場所」とか名前がわかりづらいよねって。行政は色々やってるけど、それを使う私たち個人は知らないことも多い。公助が足りてないわけじゃなく、市民が追いついていない、ということの方が大切。

羽田:いや、すごくいい考え方ですね。じゃあそうと決まってからはスムーズでしたか?

妻鹿:いや、それが全然(笑)。書類提出締め切りの二日前にやり直すことを決めて、もう一度作り直したんです。

羽田:それはどうして?

妻鹿:同じ高校でキャリア甲子園に挑戦してる友達がいて、書類審査前にお互い提出予定の書類を見せあったんですよ。そしたらそいつから「これじゃきついよ」と言われて。僕ら、提出書類を全部文章で書いてたんですよ。

羽田:まあキャリア甲子園の書類審査の書式は自由ですからね。文章でもいいんですけど。

妻鹿:そうなんですけど、やっぱりわかりづらい。アイデアはいいなって自分たちでも思ってたけど僕らの企画書は正直、論文だった。これじゃ伝わらないかもしれない、ということで全て書き直しました。結果的に書類審査通過したからよかったですけど、あれは結構大変でした。

決勝大会前に大喧嘩。チームの雰囲気は最悪に

チーム崩壊しかかった話も今では良い思い出

羽田:どのようにしてあのアイデアに至ったのかがよくわかりました。あと僕がすごく聞きたかったのが、準決勝と決勝大会の間に何があったのかって。優勝した後に大森さんがチーム内の雰囲気が悪くなってすごく辛かったって言ってたじゃないですか。

大森:言いましたね・・・。準決勝後が一番キツかったです。私、準決勝で他のチームのプレゼン聞いて「負ける」と思ったんですよ。だから準決勝で勝ち名乗りを受けてPCの前で家族も一緒に踊り狂うくらい嬉しかったんですが、まさかあの後にあんな辛い時間が来るとは・・・。

羽田:何があったんですか?

妻鹿:いやー・・・僕たちは最初から優勝目指してたし、決勝まで進めたからあと一歩じゃないですか。絶対勝ちたくて。それで決勝に進むファイナリストチーム全員のプレゼンを見てみたんですよ。多分他のチームもやってると思いますが。

中島:そう、そしたら他のファイナリストチームがみんなすごくて・・・。

妻鹿:他のチーム、さすが企業代表だ、と思えるくらいどのチームにも圧倒されて。特にそばかすは企画も素敵だしスライドも見やすくてめちゃくちゃわかりやすくて。この人たちには今のままだと負けるって焦ってきちゃって。この中で優勝するには自分たちがそれまでの自分を圧倒的に超えないと行けないぞと。全部やり直すぞ、と。

中島:それで大喧嘩になったんですよ。妻鹿くんは「ブレイクスルー」にこだわってて、今のアイデアだとブレイクスルー感が足りないって。決勝大会はテーマ出題企業じゃなくて第三者が審査するから大会テーマであるブレイクスルーが大事になるのはよくわかるんですけど。

妻鹿:それで新しいアイデアを考えてこれで行こうって提案したんですけど鬼反対されて。2人だけじゃなくてチームメンバー以外の人たちの意見も聞いていったんですけど、みんなに反対されました。でも僕は自分の考えが絶対に正しいと信じてたので、折れなかったんですよね。

大森:そうなんです。でも私たちも折れなくて。見せ方は確かに弱いかもしれないけど本質は絶対に間違ってないと私と中島先輩は思ってたからここでバトルになったんです。妻鹿先輩と中島先輩が大喧嘩になってるけど、私後輩だから強く言えなくて間に入ってまあまあ、とやりたかったんですけどそんな雰囲気でもなく・・・。

羽田:・・・想像すると壮絶ですね。どう落ち着いたんでしょうか・・・。

妻鹿:ある時に中島から「ここまで一緒にやってきたのに私のこと何もわかってくれないんだね」って言われて、それがめちゃくちゃ心に突き刺さったんですよ。確かに俺は自分の考え方に固執しすぎててメンバーや周囲の意見や考えを認めようとしなかったなって反省して・・・。なので、自分の意見を押し通す、じゃなくてお互い歩みよって考えようってなって。それで話し合いながら残すところは残す、変えるところは変える、で決勝大会前日にやっとアイデアが決まったんです。それでプレゼンの台本を書いていくプロセスになったんですけど、ここでも一波乱あって。

準決勝結果発表の一コマ。この時は全員号泣していたのにこの後波乱に・・・。

 

羽田:何があったんでしょう・・・。

妻鹿:それぞれ台本を手分けして決勝前日の夕方から書き始めたのですが、中島さんと大森さんがほぼ完成した台本があったのに僕が勝手に新しく台本を書き始めてしまってですね・・・。

中島:私、せっかくここまで勝ち上がってきたんだから最後は3人の力を合わせて戦いたかったんです。だから妻鹿くんが書き換えた台本じゃなくて、3人それぞれの作ったものにしよう、と妻鹿くんと説得して。

妻鹿:最初は僕も自分の想いが強くて自分の思った通りにやりたかったんですけど、中島さんに説得されて、そうだ、キャリア甲子園はチーム戦だ、とハッとさせられました。実際、中島さんがそれぞれの作った台本のいいところをうまく抽出して一つにまとめてくれて。それでやっと完成形ができたんですよね。

中島:私たちは準決勝から決勝まで全員想いが強すぎてまとまらなかったんですが、やっと最後でそれぞれ認め合えてチームとしてまとまれたと思いました。

大森:それで台本が完成したのが決勝当日の朝。そこからプレゼンの練習でした。

羽田:なかなか壮絶ですね・・・。でも、最後に一つになれたからこそ決勝のあのプレゼンがあったのかもしれませんね。

妻鹿:決勝はもう満身創痍でした。僕、決勝当日に2回吐きましたからね。

自分を超える。キャリア甲子園で学んだこと

校舎内には至る所にぐーふぉを讃える掲示が・・・!

羽田:ありがとうございます。波乱万丈の1年だったことがわかりました。では最後に、この1年間のキャリア甲子園を経て学んだこと、感じたことを教えてください。

中島:改めてですが、一人一人価値観や得意なことが違うんだな、という現実に何度もぶつかったことが私にとっての学びの経験ですね。これまでの私は自分がいいと思ったものを通そうとする意識が強かったんですが、妻鹿くんのアイデアはとんでもないものも多かったけど素直に「これ、良いな」と思ったものも多くて。大切なのは自分のアイデアを通すことじゃなくて目標を達成すること。同じ目標を持ってる人同士だったら他の人の考え方を認められるようになったのは成長だと思っています。

大森:私、このチームだからこそ対立することができたんだなと思ってます。先輩2人の意見に反対しづらい時もあって、家で悔しくて泣いたことがありました。でもある時、親に「それは本気でお互いがぶつかろうと思ってるからなんじゃないか」と言われて。そうか、別に相手が嫌いだからじゃなくて、本気で乗り越えようと思ってたからこその衝突なんだなって思えたんです。だから対立することを恐れちゃいけないだと。私は堅実な性格だから、斬新なものを求められると劣等感を持ってしまうことが多かったんですが、得意不得意が分かれているチームだったので自分にもできることがある、いいところがある、ということがわかりました。自分のいいところも認められるようになったのは大きかったです。

妻鹿:2人が言ってくれたことは全部僕にとっても当てはまるのですが、ちょっと違う話をします。これまでの僕の活動や経験は資料を調べて得たデータを用いて考える、ということがほとんどでした。でも今回は調べただけではしっくりこなくて。それで先生に相談してて自分で気づいたのが、本で読んだ内容で分かっていた気になっていたってことで。防災のこと、実は全く分かってなかったし、本だけで何かを理解するのは限界があるんだなと気づきました。それからは1人で防災博物館いって自分で災害時の地震を体験してみたりして。模擬体験とはいえ、大きな震度の揺れは本当にすごい。データはデータでしかなくて、実感しづらい。そういう物事こそ自分ごと化して捉えないと本当に大切なことはわからないんだなと。
あとは僕がやってきた模擬国連はいろんな見方が肯定されるんですが、ビジネスではそうではない、ということも新鮮な学びでした。
とにかく、「自分を超えるにはどうすればいいか」そんなことをずっと考えて行動してきた1年だったと思います。

羽田:いや、そんな形で色々吸収して貰えたのは運営側も嬉しい限りです。今後のぐーふぉの皆さんの活躍に期待してます!

「ぐーふぉ」決勝プレゼンフル動画