過去参加者インタビュー

周囲の声で”ワタシ”を殺さないで。軋轢に立ち向かう、女子大生起業家、江連千佳の戦い

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キャリア甲子園2017で決勝大会に進み、ニコ生賞を受賞。その後大学進学後に出場したTOKYO STARTUPGATEWAY2020でも大人に混じりながら見事決勝大会まで進出し、現在は学生起業しおかえりショーツを発売。AbemaTVやananなどにも取り上げられるー。
新進気鋭でエネルギッシュでキラキラした憧れの女子大生ロールモデルー。このプロフィールを見てそんな印象を持つ人もいるかもしれない。
しかしその実態は中学時代から続く周囲への反発と孤独との戦いだった。彼女の名前は江連千佳。メディア露出も多い彼女の、知られざる一面を語ろう。
取材・執筆:羽田啓一郎(キャリア甲子園運営事務局)

私だけの強みが欲しい。葛藤と迷走の中学高校時代

キャリア甲子園2017決勝大会の江連さん。当時高校2年生


ー最近の活躍はtwitterで拝見していますが、SNSやメディアだけ見てると華々しく見えますけど、実は結構苦労してる印象があるんですが。

そうですね(笑)、メディアに載る私はキラキラした女子大生起業家に見えるかもしれません。でも私はずっと、「こうあるべし」という社会のステレオタイプのカテゴリに苦しんできました。キャリア甲子園に出ようと思う高校生も、クラスの中で浮いてしまっていたり自分と周囲とのギャップに孤独を感じている人もいるかもしれません。そんな人の背中を少しでも押せれば嬉しいですね。

ーではそのルーツを教えてください。江連さんがキャリア甲子園に出場したのは高校2年生の時ですが、それまではどんな経験をしてきたんですか?

私は中高一貫のいわゆる有名進学校出身です。ただ、中学受験の時は補欠合格で入学したので学年最下位の自己認識でした。小学校の頃からリーダー気質だったので、中学入ったら成績でビリというのは悔しかった思い出があります。悔しいけど、成績では他の子達に勝てない。私が何か勝負できるものはないか、と考えた時に気づいたのが英語とプレゼンテーションでした。国語や算数はビハインドがありましたが、英語は中学からだったら全員同じスタートライン。また小学校の頃からパワーポイントをいじるのが好きで他の人より上だと思いました。だからこの二つで勝負しようと思ったんです。それで高校に進学したら、留学しようと決めたのです。

ーどうして留学しようと思ったんですか?

当時私は、ただひたすら学校の先生や社会に対して反発していました。テストを白紙で提出したり(笑)。でも、先生や学校に歯向かうのは違うよね、と途中から思い始めたんです。日本社会に対して不満があるのなら、日本を外から見てみよう、と思って。そのためにも英語をもっと伸ばさなければ、と高校1年生の時は本当に必死になって勉強していました。でもその甲斐あって、高校2年生の5月から三ヶ月くらいですがニュージーランドに留学に行くことができました。

ー実際、行ってみてどうでしたか?

もう、全然違って。日本って、有名な大学に行くことがよしとされてますよね。高校生もそこにやりたいことがあるわけじゃないのにとりあえず偏差値の高い大学を目指す、みたいなところってあるじゃないですか。いい大学に行くことが正解、みたいな。私はそういう勝手な押し付けが我慢ならなかったんですけど、ニュージーランドは真逆でした。「自分が将来ありたい姿から逆算して進路を考えなさい」とニュージーランドでは教えてもらって、本当にその通りだなと。

ー確かにね。僕もとりあえずいい大学に行け、と言われ続けていた気がします。

あと、ニュージーランドでは生徒の声で学校の授業の進め方が変わることもあって。実際私も自分の発言で学校の仕組みが変わったことがあって、自分の言動で社会に影響を及ぼす、という原体験をさせてもらいました。ビジネスを経験できるようなプログラムも経験してそこで「ビジネスって面白いな」と思って帰国したらちょうどキャリア甲子園の募集が高校であったので、挑戦してみよう、と。

自分の学びたいことを学ぶのがなぜダメなの?

ニュージーランド留学時の江連さん。

ーそれで決勝大会まで行ってニコ生賞ももらった、と。確かにプレゼン上手ですよね。キャリア甲子園が終わってからはどうだったんでしょう?

高校2年生の後半はキャリア甲子園に注いで、決勝大会が3月に終わって4月から高校3年生、つまり受験生になったのですがここからが本当に辛かったですね。周りの期待と、自分の思い描いていた進路のあり方が全く違って。中学進学時には学年ビリだった私も、高校3年生になると東大第一志望と堂々と言えるくらいの成績にはなっていました。父親やおじいちゃんも東大だったので、当然のように東京大学を目指す、というような雰囲気が私の周りにはありました。おまけに、私は東大進学クラスに在籍していたんです。でもそれは私が東大に行きたかったからじゃなくて。私は地理と数学が好きでそれを勉強したかったんですが、その授業があるのが東大クラスしかなかったんです。でも東大クラスにいると周囲も当然東大目指してる。それなのにどうして江連は東大志望じゃないの?と。

ーなるほど。

東大がダメと言ってるわけじゃないんですが、そもそもなぜ学びたい科目と受験勉強がセットになっているのかが疑問でした。そんな疑問と葛藤を抱えながら夏くらいまでは東大用に9教科勉強してました。でも、やっぱり違う。私がやりたいことが東大にあるなら別にいいけどそうじゃないのにこれは違う、と思い始めて、やりたいことを探そうと思い、受験勉強をやめて図書館に通って本を読みまくったんです。

ー高3の夏に受験勉強やめちゃうってのはすごいですね・・・。

いろんな本を読んで社会を知って、本から自分の興味を分析していきました。それでその中で私が出会ったのがジェンダーに関する学問でした。ある教育学者の講演を聞いたときに「大学の勉強とは、図書館にある本に新たな1Pを作ること」という話を聞いて、「じゃあ私が加えたい1Pってなんだろう」と考えた時に「私はジェンダーだ」という確信に行きつきました。それでジェンダーが学べる学校ってどこだろう、と探したら津田塾大学に行き着いたんです。ジェンダー学って構造分析を主とする学校が多いんですが、津田塾ではその解決策まで踏み込んで学べるので、私はそれがやりたいなあって。

ー超失礼ですが、東大クラスに在籍しながら津田塾を目指す、というのはかなり居心地が悪いんじゃないかと思うのですが・・・。

はい、周りからも反対されたし、自分の中でも葛藤がありました。やっぱり偏差値の高い大学の方が就職しやすいのかなとか思ったし、周囲から「東大諦めた」とか「努力してない」と思われるのも嫌でした。「自分のやりたいことをやればいい」という自分と、「周りに合わせた方が人生うまくいく」という自分もいました。その二人の自分がずっと綱引きしていた時に友達や家族、先生から「東大の方がいいよ」と言われて、その度に自分のやりたい気持ちが傷ついていきました。あの頃は、本当に辛かったです。

ーなんかそんな辛そうな発言をしている投稿をfacebookで見た気がします。

そうですね、実はその時Facebookの友達を全部削除するくらい孤独でした。誰とも繋がりたくない、誰かの道を見たくない、と思いました。それでいよいよ心が疲れてしまって心療内科に通い始めたんです。そこのカウンセリングで「あなたが進みたい道に行くのは茨の道。みんなに従った方が楽だけど、あなたには覚悟があるの?」と言われて気づきました。「そうか、自分に覚悟があれば周囲と違っていいんだ」と自分の中で腹落ちして気持ちが晴れて決意が固まりました。
偏差値で選んだ道には自分で覚悟が持てないなって。そこで覚悟を得てからは周りに何を言われても覚悟ができました。こっちの道の方が私にとっては幸せだ、という確証もありました。それで私は堂々と自分の心に従って進路を決めることができたんです。

自分が自分らしくいきたいと思い描く道。それがフェミニズム

39歳以下が出場できるTOKYO STARTUP GATEWAYでも決勝へ

ー大学進学までの道はよくわかりました。それから起業へ至る道のりは?TOKYO STARTUP GATEWAYですかね?

そうですね、TOKYO STARTUP GATEWAY2020(以下、TSG)は39歳までの起業を目指す人だったら誰でも参加できるのですが、電車の広告で見て「おお」と思ったんですよね。キャリア甲子園とやること変わらないなって。それならもう一度腕試ししてみようと思って。キャリア甲子園以来、ビジネスについて考えるのが好きだったのでちょっとしたアイデアをスマホのメモ帳に色々溜めていたんです。それでそのアイデアメモ中にあったのが「履き心地のいいショーツ」というもので。外で疲れてひとりになって一番自分らしくいられるのが自分の部屋ですよね。だから自分の部屋ではリラックスしたいのに、部屋着のショーツって、デリケートゾーンの締め付けや蒸れが気になるなって。以前から思っていたこのアイデアをビジネスとしてプレゼンしてみようかな、と思ったんです。

ーそれで見事ファイナリストまで残った、と。社会人もいる中でのファイナリスト。

いろんな人から「そんなアイデアうまくいくわけない」って言われたんですけどね(笑)。でも、ジェンダーやフェミニズムはムーブメントとしては盛り上がるけど、お金が生まれないから持続しないことに課題感を感じていました。だからビジネスにすることで持続させるものがしたいなという思いがあって。それでフェムテックでD2C(*)のビジネスモデルを模索していったら無事に決勝まで残れたんです。残念ながら優勝はできませんでしたが、創業支援金もご支援いただけることになりましたし、クラウドファンディングでも多くの方にご支援いただいて72万円集まって、それで実際に「おかえりショーツ」を発売することができました。

(*)D2CとはDirect to Consumerの略で、企画、生産した商品を広告代理店や小売店を挟まず、消費者とダイレクトに取引する販売方法を指すビジネスモデルのことを指す

ー学生起業というと、それだけでもてはやされるところがあると思いますが、実際はどうですか?

派手に見えるかもしれませんけど、めちゃくちゃ地味で地道なことをコツコツやってますよ。おかえりショーツをご購入いただいたお客様には私も自分で一枚一枚心込めて梱包しますし、問い合わせの電話も自分で取ります。私は社会に対して何かアクションを起こしたいという思いが強いんですが、私にとっての社会って一人一人の顔の集合体だと思っています。私たちの生み出すプロダクトを通して一人一人を幸せにしたい。だからD2Cという形態を選んでいるし、広告とかは打たずになるべく自然にファンになってくれる人たちを大切にしたい。

ー江連さんの話を聞いていると、昔から一貫して「自然体」「自分らしさ」を追求している感じがしますね。

私がジェンダーやフェミニズムに興味を持ったのもそれなんですよね。女性として生まれてきた自分自身について向き合うこと自体がフェミニズム。自分が自分らしくいきたいと思い描く道、願いの前に社会という壁があるのであればそれに対して行動を起こそうよというのがフェミニズムの根本。男女というラベリング、カテゴリーに縛られる必要ないよっていう。

ー今って大学何年生でしたっけ?

現在は休学中なんですよね。コロナでオンラインだと教授の部屋に行けないじゃないですか。それは思い描くキャンパスライフじゃなくて。だから学費もったいないなと思って休学しちゃいました。でも、今データサイエンスを学んでいるんですがあれは研究としてやりたいことですし、女性に関する社会データは少ないので、データサイエンスを学びながら事業を続けていこうと思っています。

ー中学生の頃から感じた自分と周囲の軋轢。そしてフェミニズムで獲得した自分らしさ。いや、よくわかりました。

周囲や社会の規範によって自分が歪められていく、ということへの反発をずっとしてるんですよね、私は。そして私と同じような人もたくさんいます。だから多くの人への背中を押していきたい。自分を殺して生きててほしくない。苦しかったら声に出していいんだよって言いたい。色んな人の拡声器、代弁者でありたいですね。私はもう、外野の声は気になりません。色々いう人がいるのかもしれないけど全然気にしてなませんね。好きにしてって感じです。

ーいや、よくわかりました。ありがとうございました!

江連さんから、キャリア甲子園に挑戦する皆さんへメッセージ

おかえりショーツ

現在は仲間とともに起業し、ビジネスに挑戦中

自分に正直に生きるのは、想像以上にいばらの道です。鎧を着た自分の方が強く感じるかもしれません。でももし、その鎧の着心地がなんだか悪いなあ…と思ったら、ぜひ一度鎧を脱ぎ捨ててみてください。そして、ハダカの自分が心から望んでいることは何か、高校生の今、純粋に向き合って欲しいのです。

もしかすると、怖さ、怒り、悲しみを感じることもあるかもしれません。その感情にじっと向き合ってみてください。世の中への違和感は、あなたの願いの裏返しだからです。向き合い続けることで、きっと自分の心からの願いに辿り着けるはずです。心からの願いに忠実に生きること、それが自分らしい人生をデザインすることではないでしょうか。

ぜひ、今日からでも自分の心の声に向き合って、本当の強さに向かって一歩踏み出してみてください。(株式会社Essay 代表取締役 江連千佳)

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