キャリア甲子園2021を戦う高校生へ、カロリーメイトプレゼンツ、先輩からのメッセージバトン企画。今回はキャリア甲子園初年度である2014年大会で、関東圏外から唯一参加し、そのまま決勝大会まで勝ち上がった石井くんの声をお届けする。
(取材・執筆:キャリア甲子園運営事務局 羽田 啓一郎)
*記事内容は取材時の2021年12月時点の情報です

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お話を伺った方

石井 大智さん

キャリア甲子園2014ファイナリスト。当時、広島学院高校3年生。キャリア甲子園挑戦後、高校を退学し、高認をとって慶應義塾大学総合政策学部に進学。同大を3年で卒業後、香港の大学院の博士課程に進学。2019年からの香港デモを契機にフリーで様々なメディアに寄稿するようになり、現在は某大手マスメディアの記者に。著書に『小さな主語で語る香港デモ』(現代人文社)など。

週3日登校を続け高校中退に

大会初年度、石井くんが広島から参加したからこそ、キャリア甲子園は全国大会になった

ーご無沙汰しています。石井くんはキャリア甲子園開催初年度に参加していただきましたが、当時は関東圏でしか告知をしていなかったのに、唯一関東圏外の広島から参加してくれました。改めて、なぜキャリア甲子園に参加したのかを教えていただけますか?

当時僕は高校3年生でいろんなコンテストに参加するのが好きでした。なぜかというと、勝ち残れば東京に行けるから。東京で決勝大会を開催し、往復の交通費を出してくれるコンテストを探していたら、キャリア甲子園を見つけて出ることにしたわけです。

ーどうしてそんなに東京に行きたかったのですか?

高校生の時は様々なサマースクールや大会に参加してきたのですが、そうするうちに東京には面白い高校生がたくさんいるなと思うようになったからです。私が通っていた高校には海外大進学者やAO入試を受ける人があまりいないので、学外でいろんな活動をする人が多くなかったのですが、東京に行くと様々な活動をしている高校生に会ったからでしょうか。

―東京は刺激が多かったんですね。

東京に限らず高校生の頃は色々な場所に行きました。東北の被災地に一人で訪れ多くの10代に会いましたし、日本に出稼ぎに来た日系ブラジル人のコミュニティ、朝鮮学校、さらにはモルモン教の教会にもよく通いました。保守系の政治家のイベントを手伝ってその中の内紛に巻き込まれるというのもありましたね。

―いろいろな経験をしてますね・・・。

高校生の時に多様なバックグラウンドの人と出会えたのは今の僕の原点です。高校生が普段接する人って同級生と教師と自分の親ぐらいだと思うのですが、多様な人々に出会えたことで自分が知っている世界が全てではないことを強く意識するようになりました。大学院の時にフィールドワークやインタビューをベースとする文化人類学を選んだのはこの時の経験があったからだと思います。

ー石井くんは高校を中退していますよね。学校があまり好きではなかったのですか?

いきなり退学になったわけではないし、学校が嫌いだったというわけではありません。始まりはコスパの悪い修学旅行に行きたくなくて学校に返金を求めたのに応じてもらえなかったことで、こんな学校の論理に毎日触れると自分の思考も硬直的になってしまうのではないかと思ったからです。

―笑

とはいえこの違和感から完全に逃れるのも違うなと思い、週3日だけ学校に通うことにしました。特に体育教員の考え方には強い違和感を持っていたので、体育の授業のある日は積極的に学校に行くようにしました。

ーそもそもどうしてそういう考え方をするようになったのでしょう?

日々学校に限らずいろんな情報や人に触れて、教師や自分の考え方を相対化しようと思っていたからで、キャリア甲子園参加もその一環でした。
あとは「毎日学校に行く」という当たり前になっている習慣に挑戦してみたかったというのもあります。私の学年は不登校の生徒が少なくありませんでしたが、毎日同じ場所に通えないだけでなぜこんなに問題視されなければならないのかと思っていました。

ーそれで実際に週3日登校を実践した結果、高校を退学になってしまったわけですね。

そうですね。ただ高認を受けていたので、その後無事に慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)に進学することはできました。「中退したら一生困るよ」と大人に言われたこともありますが、高認取得者の実例を幸運にもいくつか知っていたので、そう怖さを感じることはありませんでした。実際に私が認識している限りでは高校を中退したことで私が不利益を受けたことは一度もありません。

香港の大学院進学後、記者に

同じチームメイトには後の学生起業家でキャリア甲子園の審査員も務める下山くん。


ー慶應義塾大学卒業後、そのまま香港の大学院に進学されましたがそれはなぜですか?

学部の時に香港で交換留学をして、重慶マンションという南アジア系とアフリカ系の人々が多くいる雑居ビルがあるのですが、そのビルの中で活動する難民支援NGOでインターンをしたことが香港に関心を持ち始めたきっかけです。それでとりあえず大学院に進学しましたが、途中から真面目に研究せずに目の前のデモばかりを追いかけるようになりました。

ーそれで今はどうして大手メディアの記者に?

香港のデモ情報をリアルタイムでTwitterで発信していたら、いろんな方から声がかかって、テレビに出演したり、原稿を書かせていただいたりするようになりました。その過程で記者という仕事がどういうものか理解するようになって、研究をおやすみして一度記者をやってみようかと思うようになったわけです。もともと寄稿していたメディアから内定をいただいて、今に至ります。

キャリア甲子園に出場する高校生へアドバイス

個人と組織の関係性について高校生の頃から疑問を持っていた石井くん


ーありがとうございます。キャリア甲子園の初年度に参加したOBとして、高校生にアドバイスはありますか?

審査員が何を考えているのかをしっかりリサーチして対策してほしいですね。誰が見ても評価されるアイデアを考える必要はなくて、実際に自分を評価する審査員が高評価をつけるアイデアを考え出すべきです。

ーアイデアを考えるためにどうやって調べればいいかアドバイスはありますか?

まずは公開情報をしっかり調べましょう。企業の公式ウェブサイトはもちろん、企業に関係するニュースにはしっかり目を通しましょう。私も高校生の頃やっていましたが、余裕があれば有価証券報告書にも目を通すといいですね。その上で仮説を立てて、企業の方にインタビューするといいでしょう。

ープレゼンについてのアドバイスもお願いします!

自分が言いたいことを表現するのではなく「相手に伝わるように作り込む」という意識を持つことが大切です。あなたが解決したい問題は何か。そしてそのためにどんな手段を使うのか。まずはこの2点をどう説明するか固めましょう。

ーありがとうございます。では最後に、人生の先輩として高校生へメッセージをお願いします。

高校生に限らず、私たちの多くは与えられたゲームルールの上で生きています。高校生であれば成績がいい生徒が教師には評価されるし、営業マンであれば営業成績がいい人が評価されるのが一般的でしょうか。根回しが上手い人が評価される職場もあるし、自分で動く人が評価される職場もあるでしょう。起業家だって調達金額やステージで社会に評価されるわけです。より「条件」のいい相手を探そうとする婚活だって同様です。

重要なのはこのゲームルールは時と場所によって変わるということです。高校生として高校の中で与えられたゲームルールのもとで「高得点」を得ようとすることは、必ずしも人生全体ではプラスではないかもしれません。高校で評価される人間が、大学においても評価されるとは限らないように。

キャリア甲子園を通して様々な企業と人に出会うことができれば、自分が思い込んでいるゲームルールだけが正解ではないということを実感できるのではないでしょうか。

ーキャリア甲子園の経験が将来に生きる、と。

高校生であれば入試改革で実感している方もいると思いますが、このゲームルールは突然変わることがあります。それは企業も同じで、働き方改革やコロナ禍で多くの企業はゲームルールを大きく変えることを迫られました。高校以外の場所でゲームルールをよく観察し、その中で勝ち上がっていこうとする経験は他の場所でも役立つはずです。

そして皆さんがゲームルールを変えられる立場になった時には、そのような観察をもとにゲームルールの中で苦しむ人を救えるようにゲームルールを大きく変える決断ができる人になって欲しいと思います。

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